先日、お世話になった取引先の会長の、お通夜に参列しました。昔ながらの、義理人情に厚い方で、斎場には、私のようなビジネス関係者から、地元の名士まで、非常に多くの方が弔問に訪れていました。焼香を終え、ご遺族に挨拶を済ませると、通夜振る-舞いの席へと案内されました。しかし、会場はすでに満席に近く、また、私はその後の予定もあったため、長居はできませんでした。席を立とうとすると、受付にいた社員の方が、私を呼び止め、一つの紙袋をそっと手渡してくれました。「お時間の無い方は、どうぞお持ち帰りください、とのことでございます」。紙袋の中には、上品な折詰弁当と、小さなペットボトルのお茶が入っていました。私は、その心遣いが、非常にありがたく感じました。会社に戻り、自席で、一人静かにその弁当の蓋を開けました。中には、彩り豊かに、煮物や焼き魚、だし巻き卵などが、丁寧に詰められていました。一つ一つのおかずを、ゆっくりと味わいながら、私は、亡くなった会長の人柄を、改めて偲んでいました。会長は、いつもエネルギッシュで、それでいて、私たちのような若手の話にも、真摯に耳を傾けてくれる、器の大きな人でした。この、誰に対しても分け隔てなく、細やかな気配りを忘れない弁当のスタイルは、まさに、そんな会長の人柄そのものを、表しているようでした。もし、あそこが、大皿料理が並ぶ、本格的な宴席であったなら、私は、気後れして、何も口にすることなく、早々に退席してしまっていたでしょう。しかし、この弁当があったおかげで、私は、自分のペースで、静かに故人を偲ぶ時間を、持つことができました。そして、ご遺族の「弔問に来てくれた、すべての人に、感謝の気持ちを届けたい」という、温かい想いを、確かに受け取ることができたのです。通夜振る舞いは、必ずしも、同じ場所で、同じ時間を共有することだけが、全てではない。それぞれの参列者の事情を慮り、その人に合った形で、感謝と追悼の気持ちを分かち合う。弁当という、ささやかな箱の中に、現代の葬儀が持つべき、優しさと合理性が、美しく詰め込まれている。そんなことを、静かに感じた、ある夜の出来事でした。