母が亡くなってから一ヶ月が経とうとしていた。家族葬を終え、日常が戻りつつあったけれど、私の心の中はまだ灰色のもやがかかったようだった。やらなければならないことリストの最後に残っていたのが、「母の友人たちへの訃報の手紙」だった。正直、気が重かった。母の死という事実を、改めて文字にする作業は、傷口に塩を塗るようなものに思えたからだ。私は義務感だけで、重い腰を上げた。母の古びた住所録を開き、一人ひとりの名前を書き出す。その名前を見るたび、母から聞いたその人のエピソードがぼんやりと頭に浮かんだ。学生時代の親友、職場の同僚、趣味の山歩き仲間。便箋に向かい、定型文を書き写すだけでは味気ない気がして、私は少しだけ、母との思い出を添えることにした。「母はよく、〇〇さんと行った温泉旅行の話を嬉しそうにしていました」。そう書いた瞬間、私の脳裏に、楽しそうにお土産話をする母の顔が鮮明に蘇った。次の一人には、「いただいた手編みのマフラーを、母は最後まで大切にしておりました」と書いた。すると、そのマフラーを首に巻き、はにかむ母の姿が目に浮かぶ。手紙を書くという行為は、いつしか単なる作業ではなくなっていた。それは、母が生きてきた証をたどり、その人生がいかに豊かで、多くの人に愛されていたかを確認する旅のようだった。一通書き終えるごとに、私の心の中の灰色の靄が少しずつ晴れていくのを感じた。悲しみは消えない。でも、悲しみだけじゃなかった。母への感謝と、母を愛してくれた人々への感謝が、じんわりと心を温めてくれた。訃報の手紙を書くことは、故人のためだけではない。残された者が、故人の人生を肯定し、自分の心を整理するための、大切な儀式なのだと、私はインクの滲んだ便箋を見つめながら、静かにそう思った。