あれは、私がまだ20代半ば、社会人経験も浅い頃のことでした。可愛がってくれた叔父が亡くなり、私は、初めて一人で、少し遠方の葬儀に参列することになりました。当時の私は、ファッション雑誌を読みかじり、スーツの着こなしに、少しばかり自信を持ち始めていた、若気の至りの塊でした。葬儀の服装を準備しながら、私は、ふと、あることを思いつきました。「葬儀はフォーマルな場だ。フォーマルなスーツスタイルには、ポケットチーフが不可欠ではないか」。そう思い込んだ私は、クローゼットの中から、結婚式用に買った、光沢のある白いシルクのポケットチーフを取り出しました。そして、それを、見よう見まねの「パフドスタイル」という、ふんわりとした形で、ブラックスーツの胸ポケットに挿したのです。今思えば、狂気の沙汰としか言いようがありません。しかし、その時の私は、「これで、俺も、マナーをわきまえた、お洒落な大人だ」と、悦に入っていたのです。斎場に到着し、受付を済ませ、式場に入った瞬間、私は、自分の犯した、致命的な過ちに気づきました。そこにいる男性参列者の誰一人として、ポケットチーフを挿している人はいなかったのです。私の胸元だけが、場違いなシルクの光沢を放ち、まるで暗闇の中のネオンサインのように、悪目立ちしていました。周りの親戚たちの、訝しげな、そして少し軽蔑を含んだ視線が、私の胸に突き刺さるようでした。特に、厳格だった祖父の、無言の、しかし厳しい眼差しは、今でも忘れられません。私は、慌ててトイレに駆け込み、その忌まわしいポケットチーフを、ポケットの奥深くにねじ込みました。しかし、一度かいた恥は、消えません。その後の儀式の間、私は、生きた心地がしませんでした。叔父を悼む悲しみの気持ちさえ、羞恥心と自己嫌悪の感情に、かき消されてしまったのです。この苦い経験は、私にとって、マナーの本当の意味を教えてくれる、強烈な教訓となりました。マナーとは、自分の知識をひけらかすためのものではなく、その場の空気を読み、相手の気持ちを最大限に尊重するための、謙虚な心遣いなのだと。あの日以来、私のブラックスーツの胸ポケットが、飾られることは、二度とありません。