数年前、父の葬儀を執り行った時のことです。打ち合わせの際、担当者の方から「お父様は、当社の会員様でいらっしゃいますので、基本料金から割引が適用されます。また、これまで積み立てられたポイントも、今回の費用に充当できます」と、丁寧な説明を受けました。父は、生前からきちんと準備をする人でした。私たち子供に負担をかけまいと、終活の一環で、その葬儀社の会員になっていたのです。その心遣いは、本当にありがたいものでした。しかし、葬儀が終わり、最終的な請求書の内訳を確認した時、私の心に、何とも言えない、小さな違和感の棘が刺さったのです。請求書の最後の方に、「ポイントご利用分 -5,000円」と、確かに記載されていました。たかが5,000円、されど5,000円。その数字を見た瞬間、私の頭に浮かんだのは、スーパーのレジで、店員さんから「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれ、「はい、お願いします」と答えている、日常の光景でした。それは、あまりにも、生活感に満ちた、ありふれたやり取りです。その光景と、父の死という、人生で最も非日常的で、厳粛な出来事が、私の頭の中で、うまく結びつかなかったのです。父の死が、たった5,000円分のポイントに換算されてしまったような、そんな不謹慎な気持ちにさえなりました。もちろん、父が残してくれた割引やポイントは、経済的には、非常に助かりました。そして、葬儀社の担当者の方の対応も、終始、心のこもった素晴らしいものでした。何一つ、不満はありません。しかし、それでもなお、この「人の死」と「ポイントサービス」という、水と油のような組み合わせに対する、生理的な違和感を、私はどうしても拭い去ることができなかったのです。これは、私が古い考え方の人間だからなのでしょうか。あるいは、葬儀というものが、それだけ特別な、経済合理性だけでは測れない、神聖な領域に属するものだからなのでしょうか。葬儀社のポイントカードは、確かに、消費者にとっては、合理的で、賢い選択肢の一つなのかもしれません。しかし、その合理性の裏側で、私たちが失ってしまう、何か大切な心の機微のようなものが、あるのではないか。父の葬儀から数年が経った今も、私は、その答えを見つけられずにいます。
葬儀のポイント利用で感じた違和感